挑戦のはじまり

留学の流れ

こんにちは、みたらしだんごです。

2013年春と夏の間、私はアメリカに留学することを決めました。

同級生との再会

大学卒業後、医療系の仕事をしていました。

忙しさのあまり、特に何も考えず淡々と仕事をする日々。気が付けば5年経過。

2013年春頃、きっかけは忘れましたが、大学の同級生と再会し近況報告をしました。

彼女は大学卒業後、大学院へ進学。

その後就職をしたそうなのですが、その職場に合わないとすぐに感じたと言っていました。

入社して数日後に、職場の階段で転んで足を骨折。松葉づえ生活となり、通勤するためにはタクシーを自腹で利用。新人のためお給料が安く、毎日ご飯とお味噌汁だけの生活だったと嘆いていました。

新卒で入った職場を数か月で退職し、外資系企業に転職、今や英語のみの環境で働いているとのことでした。

決断した日

えっ。

すごい。

私もそうなりたいな。

そうだ留学しよう!

すごく簡単に言うと、このような流れになります。同級生に再会したことがきっかけでした。この間にはいろいろな葛藤はありましたが。

今行かなければいつ行くのかな。現状を打破するためには飛び出すしかない!

強く思いました。

アメリカ・オレゴン州・ポートランドに住んでいる妹(ごまだんご)に即相談。

何やら、ポートランドコミュニティカレッジなるものがあるらしい。

そこは、TOFELのスコアなど何も必要なし。さらに4学期制で、春夏秋冬のどこからでも入学できる。

これは行くしかない。

会社は退職し、一旦実家へ戻り留学の準備を開始しました。

準備開始

まずは、大学の必修科目として履修した講義依頼の英語学習を再開。

はぁ、良くわからないよ・・・。

だって私理系だから・・・なんて言い訳をしていました。

大学受験の英語知識は忘却の彼方へ。

学生時代は英語が好きでもなく嫌いでもなくだったことに気が付きました。

すぐに本屋さんへ行って中学英語の参考書を購入し勉強し始めました。

それと並行して、一旦実家へお引越し準備も開始。

ほとんどの物は捨て、最低限の荷物のみを残しました。

両親への報告

引っ越しをする前に両親へ報告したと思います。

母(もち)はお引越しを手伝ってくれたので、何か言われたかもしれませんが、全く覚えていません。

父(臼と杵)は何も言わなかったような気がします。これまた記憶がありません。

臼杵はとても無口だったので、何か思うことがあってもよっぽどのことがないと何も言いません。

特に反対はされなかったと思いますが、どう思っていたのかは不明です。

コメント

  1. ごまだんご より:

    祝初投稿🎉応援してます!

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